shimadallar

今朝は良い天気です。暖かいです。
暖かいのは良いものです。心や身体か和みます。お日様は良いものですね。
人が人を照らすのは難しいです。今朝の太陽もちょうどいい感じに暖かいのは幾つかの条件が整っている時にだけそう感じるのと同じく、万人に都合良くは照らすのは難しいものです。
太陽ほどの熱量がなく、何処かの誰かの周りに犠牲を強いることを許容出来ない場合は人を照らすことも暖めることも出来ないのかも知れません。
太陽が、自分のことのみ、その役割に徹しているからこそ、万人ではなく一部を照らし温めているのと同じで、誰かのためにと考えるうちはなにも出来ないのかもしれない。
誰かの何かをするには自らの役割やなすべきことを真摯にしないとなにも出来ないのかも知れません。 – View on Path.

今朝は良い天気です。暖かいです。
暖かいのは良いものです。心や身体か和みます。お日様は良いものですね。
人が人を照らすのは難しいです。今朝の太陽もちょうどいい感じに暖かいのは幾つかの条件が整っている時にだけそう感じるのと同じく、万人に都合良くは照らすのは難しいものです。
太陽ほどの熱量がなく、何処かの誰かの周りに犠牲を強いることを許容出来ない場合は人を照らすことも暖めることも出来ないのかも知れません。
太陽が、自分のことのみ、その役割に徹しているからこそ、万人ではなく一部を照らし温めているのと同じで、誰かのためにと考えるうちはなにも出来ないのかもしれない。
誰かの何かをするには自らの役割やなすべきことを真摯にしないとなにも出来ないのかも知れません。 – View on Path.

— 5ヶ月前・リアクション1件
"「明日から」を7回言うと1週間になる。「来週から」を4回言うと1ヵ月になる。「来月から」を12回言うと1年になる。そして「来年から」を何十回か言うと、僕たちは灰になる。一番大切なことをする日は、今日しかない。"
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— 6ヶ月前・リアクション2633件
"大豆からは色々な食べ物に変身します。
まず大豆から芽が出てモヤシ。
モヤシから茎が伸びて枝豆。
枝豆が大きく育って大豆というふうになっていきます。
大豆をしぼると油にもなります。
また、大豆を煎ると節分の豆にもなります。
その煎った豆を挽くときな粉にもなります。
大豆を煮て発酵させると味噌や醤油にもなります。
また、納豆にもなります。?
大豆を煮て砕いて搾るとおからになるし、
豆乳にもなります。
また、豆乳を温めると湯葉にもなります。
また、豆乳を固めると豆腐になります。
豆腐を凍らせると高野豆腐になり、
焼くと焼き豆腐になります。
豆腐を油で揚げると厚揚げ、油揚げになります。
"
— 6ヶ月前・リアクション115件
"

 【質問】
 海軍が誉エンジンにこだわったのは何故ですか?

 【回答】
 対抗馬A20はカタログ性能上,海軍の要求に合致せず,また,中島に対する軍の肩入れもあったため.

 誉エンジンは,1940年に企画が立てられました.
 それは,栄エンジンと同じボア・ストロークで,外径寸法は栄の僅か30mm大というもので,栄の18気筒版というものでした.
 使用ガソリンは,米国から輸入する100オクタンを想定していました.

 海軍は性能の良い航空機を開発するには,軽量で出力のあるエンジンが必要と考えており,誉は正にそれに合致するものとなった訳です.

 一方の三菱は,金星を18気筒化したA20エンジンを開発しています.
 こちらは,手堅く,将来のオクタン価が低いガソリンの使用も考慮し,若干大型で放熱設計などもきちんと為されていましたが,こちらもクランクシャフトの焼き付きなどの問題が発生しています.
 ただ,誉に比べエンジン外径で50mm大きく,乾燥重量では115kg重かったのと,カタログ性能上はパワーウエイトレシオが低く,海軍の要求に合致しませんでした.

 ついでに,三菱は,製品全般に言えることですが,官に無条件に従うものではなく,言うべき所はきちんと主張するために,結構軍との軋轢もありました.
 このため,軍の意向をある程度汲んでくれる,中島飛行機の方に肩入れをしたと言うのもあります.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

 例えば,烈風の開発に関する記述を読みますと,烈風計画が具体化した昭和17年夏,堀越技師はMK9A(のちのハ45)を推したが,海軍はNK6A(誉)を推し,押し切られた形となったそうです(碇義朗「幻の戦闘機」,サンケイ出版).
 また,19年5月の試験飛行により,エンジンの出力不足が明らかになっておりますが,
「なおも海軍側は機体の設計や工作上に,速度不足の原因を追求して,発動機側の問題を正式に取り上げようとしないので,我々は全く苦しい立場に追いこまれて,何か我々の過失を責められているような気持ちで,実に耐えられないものがあった」(曾根嘉年技師)
という状況があり,海軍側も,
「我々は余りにも誉に首を突っ込みすぎ,愛情を持ち過ぎたため,冷静な客観的判断に欠けたきらいがあったかもしれない」(空技廠発動機部・松崎敏彦少佐)
と証言しております(「幻の戦闘機」).

 一方,異なる見方もあります.
 学研の「烈風と烈風改」は,「拘ったのではなく,当時は『誉』以外に選択肢はなかった」説をとっています.

 同書によれば,誉のライバルとして挙げられているA20(ハ43)ですが,設計開始が誉の昭和15年2月に対してハ43は昭和16年前半,初号機完成が昭和16年3月に対して昭和17年4月,量産開始が昭和18年9月に対して昭和19年11月と,ほぼ一年の開きがあり同世代の発動機とは言いがたいものがあります.
 一見すると海軍は誉にこだわっていたように見えますが,早期戦力化を望む海軍としては誉以外に選択肢は無かったというのが実情のようです.

 その根拠として,
(1)「A7M1計画説明書」の中に
「MK9C(「ハ43」51型)及びNK9K(「誉」22型)の二者を候補として諸性能の基礎研究をなしたる結果,性能上は前者の方が有利と認めたるも,発動機完成時期の確実さより後者を採用することに指令せられたり」
と書かれている事,
(2)・昭和17年12月に出された「十七試艦戦計画要求書補足事項」において発動機換装が容易に行えるように要求されていること,
・十七試局戦及び十七試陸戦の発動機にはハ43が指定されていたこと等,
海軍が状況にあわせて発動機を選んでいることが示されていること
が挙げられています.

 烈風について言えば,
・昭和18春以降,陸上戦闘機の主力化が進み艦戦の価値が低下したこと.
・九州飛行機に対して発注されていた量産型烈風の部品が,初飛行前にすべてキャンセルされていたこと.
・烈風と同じ発動機を積み,烈風と同じく発動機の不調に悩みながらもそこそこの数字を出し,烈風より先に飛んだ紫電改が,昭和19年春に次期艦戦に内定していたこと等,
海軍は初飛行前から烈風に見切りをつけていたことが述べられています.

"
— 6ヶ月前・リアクション28件
" 【質問】
 ゼロ戦がほぼ無傷でアメリカの手に渡って,研究・対応されたという事なのですが,逆にアメリカの戦闘機を日本が何らかの方法で入手して研究や,それを元に開発などをしていたのでしょうか?

 【回答】
 『日本軍鹵獲機秘録』(押尾一彦・野原茂編,光人社,2002.5)という本があるので,それを読んでください.
 旧日本軍も鹵獲機や撃墜した機体を研究はしている.

 フィリピンで捕獲した米軍機は綿密に研究されている.
 試作陸攻である連山にはB-17の研究成果が反映されてる.

 でも全体的には
「凄すぎて真似できない(汗」
ということがわかっただけだった.

 あと,墜落したB-29の排気タービン(ターボチャージャー)は分解,研究されたが
「・・・こんなの作れる国と戦争したのが間違いだったなぁ(溜息」
という結論になっただけだった.

 猿が人間の道具を入手しても,研究や真似なんかできないだろ?"
— 6ヶ月前・リアクション296件
" 【質問】
 零戦の設計者,堀越二郎氏の著書を読むと,よく
「2000馬力のエンジンを使えなかった」
「燃料タンクに防弾ゴムを貼れなかった」
とありますが,両方とも陸軍の疾風では実用化された装備なのですが,何故三菱ではできなかったのでしょうか.

 【回答】
 エンジンについては開発時に適当な2000馬力級が存在しなかった.
 もともと1000馬力級のエンジンで設計された機体なので,あとで2000馬力級が出てきても,おいそれとは搭載できない.
 機体も一から設計したほうがいい.

 燃料タンクに関しては,四式戦に限らず,時期的に近い一式戦でもゴム張りになってるのはたしか.
 第一に言われるのは,発注した陸軍と海軍の要求仕様の違い.
 つまり,零戦についてないのは,海軍が特に要求しなかったからと.

 第二に言われるのは,十分なゴム加工技術が「日本に」なかったから.燃料に溶けちゃうの.
 そこで一式戦はゴムをタンク外側に取り付けており,三菱でも一式陸攻は外張りで付けてる.
 後に零戦も,外張りが可能だった胴体タンクにはゴムを追加してる.
 四式戦の頃には,なんとか内張りに耐えうる技術が出来た.
 海軍機でも使う例が出て,零戦にも試験的に用いられた."
— 6ヶ月前・リアクション35件
"

――堀越二郎を補佐した技術者の曽根嘉年は、零戦が特攻に使われるのを見て「情けなくて、こんなに大勢の人が死ぬのなら、作らない方が良かった。設計しなければよかった」と思ったそうです。堀越二郎の思いは違うのでしょうか?

「彼もそう感じたかもしれませんが、同時に『それは自分の関わることではない』とも思っていたはずです。無論、堀越二郎も一人の日本国民としての戦争責任は背負っていますが、一人の技術者が歴史全体に責任を持つ必要はない。責任を問うのはくだらない、と思います」

「曽根さんの『作るんじゃなかった』という気持ちは分かりますが、作らなかったら、もっとつまらない人生だったと思います。映画の中でも言いましたが、飛行機は『美しくも呪われた夢』です。作りたかったものを作って、呪われ、傷を負う。でも、後になって曽根さんは『仕方がなかった』と思ったに違いないんです。そうやって、時代の中で精いっぱい生きた方がいい。これが良くてこれが悪いなんて、時代の中では誰も偉そうに言えないんですから」

"

「作りたかったものを作って、呪われ、傷を負う。…そうやって、時代の中で精いっぱい生きた方がいい。これが良くてこれが悪いなんて、時代の中では誰も偉そうに言えないんですから」

朝日新聞デジタル:(インタビュー)零戦設計者の夢 映画監督・宮崎駿さん

(via kashino)

(nwashyから)

— 6ヶ月前・リアクション183件
"

ゼロ戦(零戦)といえば、60年代の子供にとっての「ガンダム」であった。少年漫画誌のグラビア頁を飾り、誰もが「名機」と絶賛して憚らない戦闘機。

俺も、何度プラモを作ったことか。

その「ゼロ戦」が設計の根本に欠陥のある駄作機だったとは……
設計主務者である「堀越二郎」が、戦記雑誌の老舗「丸」に1963年から64年に執筆連載した「零戦」をまとめた「零戦の遺産」(光人社NF文庫)。

その内容は、最後まで欠陥機「ゼロ戦」をベタ褒め。自画自賛に満ちた噴飯物であった。

日本海軍が要求した12試艦戦の要求に対し、堀越は、その著書の中で言い訳をしている。格闘戦重視の軍部の要求を満たすために、軽量の非力なエンジンを採用せざるを得なかったと。

実際には、当時の日本の工業技術力が欧米に対し著しく劣っていたので、ゼロ戦は非力なエンジンを採用するしかできなかったのが真相なのだ。欧米の戦闘機が大戦末期には2000馬力のエンジンを搭載していたにもかかわらず、ゼロ戦は1000馬力を超えるのがやっとであった。
しかも、このエンジンの原型は敵国アメリカのコピーで、そのアメリカと戦争したものだから、これ以上の改良はできなかったのだ。トホホ……

堀越はゼロ戦のプロペラについて自分らが「進歩的」だったと自慢している。

「低速でも高速でも発動機の許容馬力一杯をつねに使えることは空戦性能を非常に高める。これを可能ならしめたものが、速度に応じてつねに許容回転数一杯で運転するように、プロペラのピッチを自動的に変える定回転プロペラである。(中略)日本では12試艦戦(ゼロ戦)が定回転プロペラのナンバーワンであったが、イギリスではバトル・オブ・ブリテンのときにスピットファイアに装備したのが最初らしい。空戦性能ということを重く見た日本では、設計者も用兵側の人もこういうことには敏感で進歩的であった


堀越が自慢したゼロ戦のプロペラは、またもやアメリカのライセンス生産品! 断じて国産ではなかったのだ。しかも、採用当時、既に骨董品のしろもの。そして、堀越は空戦性能を重視した日本が「進歩的であった」と自惚れているが、それは、敵よりスピードが出ないゼロ戦だからであって、当時、欧米の戦闘機は高速化から一撃離脱戦法を採ることになっていた。速度500キロ以上では曲がらないのが当たり前だったからだ。
ゼロ戦の低速旋回能力がいくら高くても、スピードが遅くて(大戦末期には敵米英との速度差は150キロ!にも広がっている)敵にあっと言う間に逃げられれば、そんなものなんぞ何も意味がなくなる。古式ゆかしい第1次大戦時代の格闘戦にこだわり、近代戦について行けなかった日本を「進歩的」と自画自賛するとは……。

堀越は懲りずに航空機評論家内藤一郎の記事を引用し自画自賛する。
「太平洋戦争全般において、かくも零戦を精強ならしめた秘密は何か。一騎当千のわざをほこる搭乗員たちの力もさることながら、この機体特性、当時の世界のいかなる戦闘機も比肩し得ないすぐれた格闘性能、すばらしい上昇力、さらに優速、爆撃機そこのけの長距離侵攻をならしめた大航続力、世界に先がけて採用された20ミリ大口径機関銃の威力など、一々数え上げればきりがないほどである」(雑誌「丸」「零戦に象徴される名戦闘機の威容」)


よくもまあ、こんな煽て記事を引用したものだ。

ゼロ戦の「大航続力」は、日本軍らしい人命軽視の賜物なのである。被弾しやすい主翼内に燃料タンクを碌な防弾もしないで配備したから航続力を伸ばすことができたのだ。欧米の戦闘機はもちろん主翼に燃料タンクなんぞ装備しなかった。しかも、巡航速度が米英より100キロも遅い時速200キロという低速なのだから、燃費がよくて当たり前なのである。

世界に先がけて採用された20ミリ大口径機関銃の威力」なんぞは大嘘である。

20ミリ機関砲は、1930年代前半にしてフランスのD.500系統がエンジン下に装備した戦闘機として設計されているし、実戦での使用に関しても、スペイン内乱でHe112の一部が20ミリを装備して使用している。しかも、どちらも日本に参考輸入されているのだっ!!
そして、この20ミリも設計は国産ではないっ! スイスの骨董品をライセンス生産したもの。この20ミリ機関砲は、もともと爆撃機迎撃用に搭載が決定されたのだが、その遅い発射初速からくる威力不足で、重爆を撃墜することはほとんどなかった。しかも、 弾数が少ないために、わずか数秒で全弾撃ちつくしてしまうシロモノ……。

零戦の持つ、構造的な欠陥は「一々数え上げればきりがないほどである」のだ。このような、空飛ぶ棺桶に乗らされ死ななければならなかった「若者」。あの世で「堀越二郎」はどう償っているのだろうか……。

詳しくは、「旧日本軍弱小列伝」http://www.luzinde.com/「空飛ぶ納屋の戸 零式艦上戦闘機」http://www.luzinde.com/meisaku/zero/1.htmlをご覧あれっ。"
— 6ヶ月前・リアクション50件
"みんなから嫌われてるのにやってくる月曜みたいな強さがほしい"
コーヒーメイカー (kohimeika) on Twitter (via yasunao) (via thinkupstudio) (via kml) (via petapeta) (via gkojax)
2009-11-09 (via gkojay) (via inujita) (via plasticdreams) (via hased) (via nemoi) (via atm09td)
— 6ヶ月前・リアクション1161件
"

重要なことは、どんなに調子の悪い時でも簡単にできる事を決め、そして例外を作らずそれを実行すること。
大抵の人は、ハードルは「やる」か「やらない」かの地点にあるのであって、やり始めてしまえば、ほとんど一回で終える事はないのである。

最初から10回やらなければならないと思うと、それが負担になって一回もやらないといっ方を選択してしまうのである。
まず一回やる事。

そしてその一回をやってしまえば、その時点で気分が変わるのだ。
これは、鍛錬に関する魔法の方法である。

そしてこのノウハウは空手などの肉体鍛錬だけにとどまらずあらゆる分野で応用が利く方法なのだ。

"
— 6ヶ月前・リアクション1291件